長身で関西弁、巧みな話芸が持ち味の、千原ジュニアさんは、実のお兄さんである、千原せいじさんと、お笑いコンビ「千原兄弟」を、組んでいらっしゃいますよね。
自由奔放で物おじしない、兄・千原せいじさんとは対照的に、千原ジュニアさんは常識人で、人見知りのイメージがありませんか?
でも、大阪を本拠地としていた若手時代には、「ジャックナイフ」との異名を持つほど、尖っていたんですって。
しかも、バイク事故により、容貌が変わってしまいましたが、事故前はかなりの強面だったとか。
それに、外見だけでなく、性格も丸くなったそうですよ。
千原ジュニアさんの、外見も内面も変えた事故って、いつだったのでしょう?
そして、場所は??
今回は、千原ジュニアさんの事故に、スポットを当ててみましょう!
千原ジュニアさんって、どんな人?
【今人気の記事】 千原ジュニア 地上波では絶対に見せない“ウラの顔” https://t.co/eYIjB6FaHW pic.twitter.com/jd2akJ9rHT
— エキサイトニュース (@ExciteJapan) June 29, 2017
本名及び旧芸名 千原 浩史(ちはら こうじ)
生年月日 1974年3月30日(43歳)
出身地 京都府福知山市
血液型 O型
身長 180cm
最終学歴 京都共栄学園高等学校中退
子供の頃から、友達とつるんで、「悪さ」をしていた、千原ジュニアさん。
その容貌も相まって、周囲のイメージは、とても悪かったようです。
そんなイメージを見返すべく、千原ジュニアさんは、たった3ヶ月の受験勉強の末、見事、中高一貫の私立中学に、合格しました!
すごいですよね!!
千原ジュニア、芸人になる!
【商業高校出身の有名人】
千原せいじ 芸人 千原兄弟福知山成美高等学校卒業 pic.twitter.com/OlxMaHZwnd
— 商業あるある★ (@yunaaannnnnnnn) December 14, 2015
ただ、千原ジュニアさん自身は、勉強が好きだったわけではなく、中学受験はあくまでも、「周りを見返す」ことが目的。
その後、私立中学に馴染めず、登校拒否・引きこもり生活を始めます。
なんとか、高校に進学したものの、全く行かない日々。
そんな時に、「お前、何もせんと、家におんのやったら、俺、吉本にいてるから来いや」と、声をかけたのが、兄・せいじさんです。
そして、兄・せいじさんに、言われるがままに、ネタを作って、NSCの生徒の前で披露したところ、なんと、大爆笑が起きたそうです。
この時、ジュニアさんの体中に、電気が走った感覚になり、お笑い界で闘っていくことを、決意した結果、高校を2ヶ月で、中退したんですって。
コンビ結成は、1989年6月で、もちろん相方は、兄・せいじさん。
ジュニアさん、15歳での芸人デビューでした。
運命の事故は、いつ?そして、場所は??
千原ジュニアの事故のときのCT写真ヤバすぎるでしょ バキバキやんけ pic.twitter.com/gTYBzpk1oA
— ほびー (@Hoobee773) June 25, 2017
お笑いコンビ「千原兄弟」は、大阪の若手芸人として、絶大な人気を誇り、千原ジュニアさんは若干18歳で、「大阪若手芸人のカリスマ」となりました。
そして1996年、満を持して、上京しました!
しかし、東京ではなかなか、売れなかったそうです。
そんな中、2001年3月26日、運命の日が訪れます。
その日は、出演依頼が来た、番組からの事前アンケートを書き上げ、夜遅くに、愛車のバイクで、帰宅していたそうです。
そして道中、一台のタクシーと衝突寸前になります。
場所は、公表されていないようです。
瞬間、「(バイクを)倒した方が安全やけど、もう1回タンクに(オイル)入れなあかんな」という考えが、ジュニアさんの頭をよぎり、倒さずにいったところ、猛スピードのまま、ガードレールに激突!
顔面が直接、石柱に激突し、「鼻がグシャってなった」のが、ジュニアさんにも、分かったそうです。
更に、顎は真っ二つに割れ、左頬と前頭骨を骨折、おでこの神経は切断。
しかも、眼球の受け皿である、眼窩低と内壁を、骨折したことにより、眼球がだらんと下がっていたそうです。
もう、想像の域を、軽く超えていますよね。
ただ、相当な大事故だったことは、明らかです。
ジュニアさんが目を覚ましたのは、事故から4日目の3月30日で、奇しくも、ジュニアさんの27歳の、誕生日だったそうです。
この時、ジュニアさんは、全身に管が通され、顎を固定するため、奥歯が針金で止められていた状態でした。
しかし、脳にも脊髄にも損傷はなく、後遺症の可能性は低いと言われていたそうですよ。
大事故ではありましたが、運が良かったのでしょう。
しかし、顔の左半分が、壊滅的なダメージを受けていて、元に戻すのは不可能との事。
結果、割れた顎を固定するためなどで、計12枚ものチタンプレートを、顔に埋める大手術を受けたそうです。
最終的には、あの有名な「高須クリニック」の高須院長が、直々に手術を行って、ジュニアさんは今の容貌となったそうです。
また、入院中には、多くの芸人仲間が、ひっきりなしに、お見舞いに訪れたといいます。
そして、相方であり、実兄のせいじさんは、お見舞いには来ず、ジュニアさんが戻ってくる場所を、死守するがごとく、舞台に立ち、一人でライブを続けていたそうです。
ジュニアさんは、この大事故を経験したからこそ、周りの人々の温かさを再確認し、もう一度、お笑いの表舞台に立ちたいと、心の底から思ったそうです。
大変な事故でしたが、そのおかげで、人相だけでなく、人柄も丸くなったのですね。